羽田孜元首相。
かのミスター政治改革、羽田孜元首相が昨日亡くなられた
との事です。心から安らかにお眠り下さいませと胸の中で
思いました。
中の中心です。1993年の宮澤内閣不信任決議案の賛否を
いかにするか羽田派内では直前まで話し合いが持たれて
渡部恒三もいました。最終的にこの決議案に賛成票を入れ
新党を作る動きを見せたため乗じて羽田派も同調し後に
だけ見たことがありますが、飄々としている雰囲気ではなく
全く高圧的な感じはありませんでした。お話しすることは
出来ませんでしたが、人当たりの良さそうなところはニュー
ス記事の通りでした。
ニュースでは現行憲法では1番の短命内閣の長であったと
あまり良い報じ方をしてませんが、この人がいなければ
おそらく政治改革の旗印もいなかっただろうし、政権は
変わるんだという実感の持てる政治環境にはならなかった
と思いますね。未だに社会党が存在していたかもしれません。
思います。村山社会党政権だって無かったでしょう。
思われましたが、仲違いして太陽党を作り、孤立の方向に
向かいました。そんな所が悲しかったですが、民主党に
入ってちと風当たりも良くなったことでしょう。細川護煕も
フロムファイブという小政党を作ってましたが、それなりに
元気でしたよね。
元羽田派の人間が今元気に活躍してるのは、不思議にも
羽田孜から色々と学んでいたでしょう。船田元もですね。
熊谷弘もいましたが、今でもたまに記事で目にしますね。
小沢嫌いでも有名です。
政界ガラガラポンの立役者が亡くなった事は本当に感慨
深いです。1993年にどれだけの人が自民党は終わったと
思った事でしょう。が、自民党は強く2017年与党です。
にしても、羽田孜はどんな日本を作りたかったのか聞いて
下野させ硬直化した政治体制に激震をもたらしたという
点からすれば十分に大きな政治家でしたね。
ところで、94年の朝鮮危機の時の首相は羽田孜でしたね。
まさに、今朝のミサイルは羽田孜に対する追悼ミサイル
だったのでは?と思うのは考えすぎでしょうか。
以上